デンドロビューム・クスバートソニーの自生地を探る
「パプア・ニューギニアラン紀行」

後編

前編

今回と次回は洋ランの自生地を巡る紀行文をお届けしたい。昨年末、小生はデンドロビューム・クスバートソニーの自生状況を調査するため、パプア・ニューギニアを訪問した。渡航前に自生地探索を行うにあっての情報収集をおこなった。普段行っている小生の情報収集の手段、方法論を少しご紹介しよう。今後、読者の皆さんが自生地巡りする際の役に立てば幸いである。

パプアニューギニアにいきたい

普段、農大・専門学校、温室・培養室管理、TV・執筆などの仕事があるため、なかなかまとまった時間がとれず、自生地巡りなど、「いったい、いついけることやら?」とあきらめて日々を過ごしていた時、ある一人の蘭大明神(小生はラン仲間を蘭友と呼ぶが、心から尊敬する蘭友は蘭大明神と表現する)が、強引にも渡航日程を決めて下さった。その人の名は『鈴木多門』(たもんという名前が多聞ではなく多門というところが味噌らしい)。鈴木氏は、岐阜県中津川市にある会社を経営されており、趣味で洋ラン栽培を30年近くされてきた方である。非常に論理的ななかに独創的かつ効率的なお考えを悠然と出される方で、話す度にワクワクさせられる方である。鈴木氏が手がけると、どんなものでも予想をはるかに超えた大株に仕立てられる栽培技術を持っておられる方である。機会があれば、読者の方も一度お近づきになるのをお奨めする。あのソフロニティス・コクシネアの大家であるT博士も鈴木氏の温室を見て驚かれたくらいである。大型国際ラン展には一切出品されていなくても、まだまだ知られていない蘭大明神は存在しているのである。ただお忙しい方なので、なかなかお会いすることも困難だと思うのだが・・・。
とどつまり、話は単純である。昨年11月頃、「トミー先生(蘭大明神様は小生のことをこう読んで下さる)、年内にパプア・ニューギニアに行きませんか?デンドロビューム・クスバートソニーなど、自生地の環境調査をしましょう。日程を組んでもらえるかな?」「いいですね〜、行きましょうか。TVのスケジュール確認しますから。」
始まりはいつもこんな感じだ。ただひとつの純粋な熱い想いが生まれたとき、それに向けてただ努力するだけだ。 幸運にも、年末のTV出演予定は総集編に変更になっていた。年内最後の出番は12月5日であった。その翌日に出発日を固定して、10日か2週間くらいの日程を当てたのだった。

デンドロビューム・クスバートソニイに関する基礎情報

まずはお目当てのランの情報を調べるために洋ラン関係の書籍を開いてみた。
〜パプア・ニューギニア原産。高地性の矮小種。茎は長さ1.5cm、径0.4cm、紡錘形。葉は茎より長く、長さ約2cm、幅0.5cm、表面がざらつき、主脈部分が縦の溝となりくぼんでいる。花は単生し、花径3〜3.5cm、開張し、長さ3cmの花柄をもつ。植物体に比べて大きい花をつける。唇弁はシャベル状、花色は、白、黄、桃、橙、紅、紫色などや、弁先が異なる色彩をもつ個体など、変化に富んでいる。花命はきわめて長く、半年近く開花していることもある。開花期は夏から冬〜
日本で入手可能な洋ラン関係の書籍をひもといてみても、以上の様なごく簡単な情報しか入手できない。そこで、自生地にいくにはどうすればよいのかということになった。

下準備のための情報収集

なにしろ、パプアニューギニアという国に関しての知識が乏しので、国に関する情報から集めなければならなかった。手頃な検索方法としては、インターネットが便利である。Yahoo!で検索すると、12件ひっかかってきたが、どれもこれといった情報がない。HPは自分自身で内容を確かめなければいけないものだから、結構、面倒と感じることも少なくない。結局、求めていた情報は得られなかった。
次に起こす行動は、書籍収集である。取り合えず、パソコンでamazon.co.jpのHP(http://www.amazon.co.jp)を開いてみる。いつものように、サーチのところに「パプアニューギニア」と入力し検索してみる。その結果、27件ひっかかる。アマゾンとはネット上の書籍販売のHPなのだが、小生は結構利用する方である。最近は大型書店にもなかなか行く時間が取れず、ついついアマゾンに頼ってしまう。アマゾン以外でも大型書店でも行われている。例えば、『ネットダイレクト 旭屋書店(http://www.netdirect.co.jp/)』、『ジュンク堂(http://www.junkudo.co.jp/index.jsp?)』などがある。これらのHPも同じように利用できるので、つくづく便利な世の中になったものだと感心してしまう。
取り合えず、3冊注文する。当たりかはずれかは入手後、実際にこの目で確かめないとその真偽はわからないが、なにもないよりましである。
次は洋ラン情報誌ニューオーキッドのバックナンバーを調べた。確か、以前に1〜2件パプアニューギニアについて記載されていた箇所があったはずだ。すると鈴木氏から電話がはいった。
「トミー先生、ニューオーキッドのNo.80とNo.87にパプアニューギニアのランがのっているよ〜」、思わずうれしくなってしまう。全く同じような行動をしているわけだ。
「ありがとうございます。いま、ネットのアマゾンでパプアニューギニア関連の本を3冊注文しておきましたから」
118号まで続いた本誌につくづく感謝してしまう。本誌の歴史は今年で確か20周年だと思うのだが、20年間にため込んだ洋ラン情報は素晴らしいの一言に尽きる。20年間の蓄積は、ある意味、世界に誇れる知的財産であろう。たかが雑誌、されど雑誌、20年間出版続けるといった真面目な姿勢、会社理念に対し、心から敬服し、感謝申し上げたい。
このほか、蘭友会、全日本蘭協会、大阪愛蘭会などの愛好団体の会報のバックナンバーも調べる必要があった。さらにAOS、RHSなど海外の会報にも目を通せば、必ず情報が見つかるものである。

電話をかける

ものは試しに、電話をかけまくるというのも情報収集として、重要な作業である。まずは大学で2年先輩にあたる遊川知久博士に当たってみる。遊川氏は現在、筑波実験植物園で精力的にラン科植物の分類について研究されている。しかしパプアニューギニアには行ったことがないとのこと。大学院時代からかれこれ20年間デンドロビュームの分類に力を入れておられ、大変頼りになるのだが、今回は当てがはずれてしまった。遊川氏に聞けばなんとかなるだろうとたかをくくっていたので、とても困ってしまった。それでも遊川氏は、「確か、石田源次郎先生と齊藤亀三先生がパプアニューギニアに行かれたはずだったけどなあ〜」と有益な情報をもらしてくれる。同じ釜の飯を食った仲間は心強い。石田先生とは『NHK趣味の園芸』で存じ上げていたし、齊藤先生とは、望月氏が主宰するパフィオフォーラムの講演でお会いし、少なからず面識があったので、急に心強くなる。

齊藤亀三博士に聞く

齊籐先生とコンタクトがとれた。先生はすぐさま、有益な情報をファックスしてくださった。以下、要点のみまとめた。
1:現地の旅行社を使う。
2:デンドロビューム・クスバートソニー、デンドロビューム・ベキシラリウスは、道路 際の切り通しに直接生えていることもあるが、林内の方がよい。
3:ランに詳しい案内人がマウント ハーゲンに在住している。
4:マウント ハーゲン郊外にあるロッジの近くに住んでいる。
5:マウント ハーゲンを起点としてタリにいくのがよい
6:治安が悪い。
7:タリではパトカーで案内された。
8:現地には電話がないため、手紙で連絡を取り合う。

森和男先生に聞く

森和男先生は、我が国が誇るプラントハンターである。同じ関西在住なので、普段から親密におつき合いさせて頂いている。先生の意見は以下の通り。
1:現地の植物を絶対国外に持ち出してはいけない。過去、逮捕された人が多く存在する。
2:空港で見つかった場合、即、刑務所行き。
3:マラリアにかかると、助かったとしてもキャリアになり、毎年高熱がでる。
4:森先生は、予防薬の服用や予防接種をしなくても、マラリアになったことがない。

ここまで、情報が集まると、心強いものだ。先生方の貴重なアドバイスには、心から感謝申し上げなければバチがあたってしまう。風土病については以下にまとめた。旅行をお考えのかたにはぜひとも知っていただきたいことかもしれない。なにしろ、我が国と異なり、パプアニューギニアのハイランド地方には、水道も電気もトイレもないところなんだから。

マラリアとデング熱とフィラリア症

東南アジア旅行でもっとも心配する伝染病は、マラリアとデング熱とフィラリアである。マラリアは世界102カ国で毎年2億人が感染し、その2%が死亡している。50種以上のハナダラカがマラリア原虫を媒介する。これらの蚊は広い豊富な水源に発生するので、熱帯多雨地域とその周辺の草原、農作地帯がマラリア侵淫地となっているようだ。年間降水量1000m以上の地帯とほぼ一致する。
マラリアの症状についてもふれておこう。潜伏期間は約2週間で、急に、あるいは2〜3日だるくなってから熱の出る発作がある。発作は始め寒気がし、ガタガタ震えがきて、1時間ほどすると40度ぐらいの高熱となり、体の中が焼けるほど熱く、口が渇き、頭が痛む。この発作が3日熱では3日ごと、4日熱では4日ごと、熱帯熱では不規則で、毎日出たり、3日ごとにでたりする。発作は1〜2ヶ月のうちにだんだん弱くなり、自然に起こらなくなるが、何年経ってもまた再発する。再発を繰り返すうちに衰弱してくる。発熱間隔が不定の熱帯熱マラリアが重篤で、致死にいたることもある。3日熱、4日熱の初感染はキイーネ、クロロキン、プリマキンを使用する。再発するものや熱帯熱にはファンシダール、テチラサイクリンなどを併用する。一般には販売されていない薬なので、特別に申請して入手する必要がある。
次に、デング熱の患者は、50カ国で年間100万人、致死率ゼロであるが、デング出血性熱炎は20万人で3%の致死率を示す。ウイルスは蚊を介して人から人へ伝搬し、人の体内では短命であるから、高人工密度の都市でしか流行しないようである。特に媒介蚊であるネッタイシマカはもっとも新人的な蚊で、熱帯地方の都会で人工容器などで発生し、家屋内で人だけに吸血する。他の媒介蚊であるヒトスジシマカは、植樹の多い都会や森林境界に発生し、ウイルス常在地である森林から都市へ伝搬する蚊といわれている。森林境界に生息するヒトスジシマカが事故的にウイルスを人社会に持ち込んでくるようだ。世界の熱帯雨林に近接している都市周辺では、とくに雨季にデング熱の発生を繰り返しているようである。
デング熱の症状は、5日前後の潜伏期ののちに、1〜2日、体がだるく、顔が赤くなる。さらに寒気がして急に40度ぐらいの高熱が出て、体のふしぶしや筋肉が非常に痛み、出血しやすい状態も起こる。頭や手足の外側に発疹がでる。出血のない場合は滅多に死ぬことはないといわれている。治療方法はとくになく、安静、手足と関節の湿布、解熱剤、痛み止めなどの対処療法だけかないのである。免疫も生じないため、恐いとしかいいようがない。
フィラリア症は主にハナダラカ、ヌマカ、ヤブカがミクロフィラリアを人から人へ伝染する。50カ国で毎年9100万人が感染する。東南アジアでは、媒介蚊は水田に発生するネッタイイエカも関与する。フィラリア(糸状虫)がリンパ管やリンパ節のなかに寄生するもので、乳び尿や象皮病(ぞうひびょう)が起こる。乳び尿は、食後、尿が白く濁って牛乳のようになる病気である。リンパが尿路のほうに通じるようになるために起こる。象皮病は、リンパ節に糸状虫が寄生したために、足や陰嚢からくるリンパがたまり、長年のうちに足や陰嚢がふくれあがってかたくなり、皮膚が厚くなって象の皮膚のようになる病気といわれている。感染し始めの時期は熱が出て震えがきて皮膚に赤い斑点ができる。フィラリアの雌の長さが7〜8cm、雄が半分くらいの長さの虫で、人のリンパ管、リンパ節中に寄生する。これから生じた子虫は夜間静脈内に現れ、明け方近くなるともとのところに戻っていく。すぐに発病するのではなく、何年もかかって体内に多数のフィラリアができることに発病する。我が国でも、南九州、沖縄、八丈島などで発生例がある。象皮病は手術以外に適当な治療方法がないといわれている。
結局のところ、唯一の予防はとにかく蚊に刺されないことである。かやを使ったり、蚊取り線香を焚いたり、虫除けスプレーを使用するしかないのである。マラリア予防はキニーネの服用もある。だが、必ず医師に相談することをお奨めしたい。ちなみに小生は最新の注意をしたにも関わらず、タリ地方で、自動車の荷台に載せられ、しがみついている移動中に1回蚊に刺された。こうして原稿をかいていることを思えば、大丈夫だと思うのだが・・・。




大自然が微笑む神秘の国といわれる所以は

日本から南へ約5,000km。赤道とオーストラリアにはさまれた南半球の国がパプアニューギニアである。現地の人々はPNGと呼んでいるようである。500を越える民族が豊かな自然と共生し、独特な伝統を今も守りながら生活している。伝統的な祭典『シンシン』が有名なので、よくTVに取り上げられるので、どうしても槍をもって鼻輪をつけているようなイメージが漂ってしまう。しかし観光化もすすめられており、バードウオッチングや昆虫観察、トレッキング、フィッシング、セピック川のクルーズなど、観光素材もそろっているようである。
基本情報としては、『時差』はプラス1時間、日本より1時間進んでいる。日本の正午が現地の13時。『電気』240V,50hzなので、空港などのショップで販売されている安価な変圧器などを利用すればよい。『通貨』はKina(キナ/「K」で表示/通貨コード:PGK)で、補助通貨単位がtoea(トヤ/「t」で表示)1キナ=100トヤ。為替レートは変動するが、1キナ=約32円(2002年12月現在)です。紙幣は50,20,10,5,2キナで、硬貨は1キナと50,20,10,5,2,1トヤがある。『両替』はまず空港である程度しておいたほうがよい。ホテルでも可能だが、我々は市内の銀行で行った。長蛇の列を作る現地の銀行も必見の価値あり。特別扱いは世界共通、特別扱いにしてもらうかどうかは、貴殿次第である。『付加価値税(V.A.T.)』が1999年から始まったようで、日本の消費税に相当するものであろう。パプア・ニューギニア国内における消費に対し10%が課税される。国内航空運賃も課税対象で通常は航空券内に含まれるようである。国際線航空運賃は非課税と聞いた。
『国内の交通事情』については、パプアニューギニアは国の中央部に3,000m級の山岳地帯があるうえ、広大なジャングルや河川が随所にあるため、一部のハイウェイを除いて遠距離道路は発達していない。このため国内各地への空路が中心で、ニューギニア航空や地域運航会社が国内主要都市を結んでいる。フライト表を見れば、案外すぐにどこにでも行けそうだが、発券されるのに時間がかかる。非常にのんびりした手書きのフライトチケットには、哀愁さえ感じてしまう。各都市には必ずニューギニア航空のオフィスがあり、予約・発券ができる。英語が通じるので、のんびり以外の不便さは感じない。マウントハーゲン、タリなどにもレンタカーの受付はあったが、受付員が不在で、どうやってレンタカーをかりればいいんだろうか?と随分悩んでしまった。主要都市以外はレンタカーも当てにしない方がよい。いくらお金やクレジットカードがあっても、受付員がおられなければ、どうすることもできないからだ。旅行会社を通じたパック旅行でなければ、自分でドライバーと車を探さなければいけない。危険といえば危険だが、足がなければどうしようもないので、信頼性のある現地パートナーを現地で自ら探す必要がある。アブナイ、キケンがあればあるほど、エキサイトするものだが、結果的に自分の野生的感が試されてくるものだ。
伝達手段である『郵便,電話とインターネット』についてもふれておこう。郵便物は、利用者が郵便局に私書箱を設け、自分で受け取りに行くシステム。これまた、相手の住所がわかりにくいという不便さがある。旅行者の場合は、ホテル気付か最寄の郵便局気付で手紙を受け取ることができる。小生はファックスを利用した。電話は国内のほとんどの地域と回線が結ばれており、国際電話も全世界へ直通電話が可能であると、観光パンフレットには書かれてあるが、現実は厳しい。基本的にハイランド地方へ行った場合は、電話がないと覚悟しておいたほうがよい。また携帯電話やインターネットも発達していると、書かれているが、あくまでも首都のポートモレスビーなど主要都市だけであろう。これまたハイランド地方では見たことがなかった。ちなみにポートモレスビーにはインターネットカフェもあるらしいが、今回はお目にかかれなかった。某出版社から原稿の校正があるから、パソコンや国際携帯電話を持っていってくれと依頼されたが、秘境の地まで、日本の現実を持ち込みたくなかったので、丁重にお断り申し上げた。実際、国際携帯電話も通じないらしい(定かではない)?ちなみにパプアニューギニアの国番号は675である。パプアニューギニアからの国際電話のかけかたは、日本に電話をする場合、国際電話識別番号05のあとに日本の国番号81に市外局番の0を除いた番号をダイヤルする。(例)日本の03-3541-8625にかける場合、05-81-3-3541-8625にかける。小生も首都ポートモレスビーにあるホテルから、何度も表記通りのかけかたで、日本へ電話したが通じないので、ホテルのフロントにたずねたが、「表記通りかけろ!」としか答えてくれず、結局、クレームを申し立て、電話交換手につないでもらった。こういう不便さは我が国以外ではどこでも起こることだと思っておけばよいのだが、実際、不便としか感じようがないものである。
『服装・装備』については、基本的にラフな服装でよい。海岸部や低地ではTシャツとショートパンツといった夏服でも問題はないが、ハイランド地方に行く場合は夏の北海道程度の気候を想定した服装が望ましく、防寒着は必ず持っていかなければならない。セピック川流域をはじめ、ブッシュ(草むら)を歩くような地域では蒸し暑くても長袖・長ズボンが必要である。雨季(11〜4月)だけに関わらず、薄いレインコートや折り畳み傘を持っていった方がよい。バッグ類は必ず鍵のかかるものを選び、常に手元に置いておくことを心がけたい。蚊除けスプレーと常用の薬類は持参するべきである。特にハイランド地方は、ショップがなにもないと思っていた方がよい。電気、水道、トイレ、日用品のショップ、本屋などなにもない。ただ延々と大自然が広がるばかりである。
『予防接種』について、日本から直接入国する場合は、原則として不要である。ただし国内の一部地域ではマラリア蚊の発生があるので、予め、マラリアの予防薬を買い求め、持参するのが望ましい。比較的簡単に入手できる予防薬は英国製『ダラプリム』で、購入先などは各都道府県の検疫所またはニューギニア航空(東京:03-5216-3555)まで問い合わせて頂きたい。ちなみに我々は予防薬も予防接種もせずにいってしまった。蚊取り線香一缶、虫除けスプレーを3本、キンカン、ムヒ、オロナイン軟膏などをもって行った。

航空便は?

パプアニューギニアまでの一般的なルートについてふれておこう。2002年4月20日から直行便が運行されるようになった。成田とパプアニューギニアの首都ポートモレスビーとの直行定期便である。毎週土曜日に運行されている。以前は、香港経由、グアム経由、シンガポール経由、ケアンズ経由で首都ポートモレスビーへ入るしかなかったので、いい時代になったものである。ニューギニア航空を利用すればよい。ニューギニア航空では、日本からの直行便,オーストラリア(ケアンズ,シドニー,ブリスベン),マニラ,シンガポール,ホニアラとを結ぶ国際線,パプアニューギニア全域を網羅する国内線を運航しているので、不自由さは感じなかったが、現地で国内線のフライト予約をしようとしたら、満席で利用できなかったので、どうも早めに予約しないとすぐに満席になるらしい。空路が唯一の移動手段みたいだからいたしかたない。



直行定期便:
PX055日本発/毎週土曜日運航、成田21:30発、ポートモレスビー04:55+1着(時差注意)、
PX054日本行き/毎週土曜日運航、ポートモレスビー13:15発、成田19:55着

結局、小生は関西在住なので、関西国際空港から旅立つことになった。



パプアニューギニアに持っていくもの

小生が海外に出るときの持ち物も列挙しておこう。何に使うかは想像してほしい。パスポート、現金、クレジットカード、カメラ、デジカメ、一眼レフ(望遠レンズ、マクロレンズ)、デジカメのスマートメディア、フイルム(ポジ&ネガ)30本、乾電池単三電池20本、翻訳機、携帯用小型辞書、下着(現地で廃棄できるもの)各10枚、長い靴下(10束)、長袖のトレーナー(2枚)、ジャージ(1枚)、ジーパン(2本)、Tシャツ(10枚)、長袖Tシャツ、折りたたみ傘、レインコート(2枚)、防水スプレー、ゴム草履、メガネ(2つ)、帽子、サングラス、革手袋、登山靴、虫除けスプレー(3本)、ムヒ、蚊取り線香(1缶)、携帯できる蚊取り線香、アミつき帽子、携帯ティッシュ、携帯ウエットティッシュ、マジックテープ、方位磁石、ペットボトル&ストラップ、短波ラジオ、懐中電灯、携帯用小型スリッパ、ブラシ、ヘアージェル、目薬、うがい薬、ハブラシ、歯磨き粉、綿棒、爪切り、ひげ剃り、乳液、コンパクト鏡、ハンドクリーム、総合感冒薬、頭痛用アスピリン、正露丸、ホッカイロ、サロンパス、バンテリン、消化薬、消毒薬、ガーゼ、包帯、血止め、オロナイン、バンドエイド、とげ抜き、ピンセット、鞭、ヌンチャク、ガムテープ、セロテープ、紐、ハサミ、カッターナイフ、瞬間接着剤、糊、ライター、ビニール袋などである。過去何度も渡航経験はあるので、ほぼ前述のものをコンパクトに収納できるように普段から鞄に詰め込んである。いわゆる出張鞄である。海外用と国内用に分けられている。

フライト

生放送番組の翌日、12月6日(金)の夕刻には関西国際空港に着いていた。フライトはAO7914の関空20:30発のケアンズ行きである。待ち合わせ場所に行くと、鈴木多門氏もやがてくる。さすが、社長も旅慣れた服装とコンパクトな鞄での出で立ちだ。小生は過去、フライトで預けた荷物が違う国に持って行かれた経験を数回しているので、基本的に重要なものは手荷物にして、すべて機内に持ち込んでいる。預けた荷物は例え紛失してもすぐにあきらめがつくように段取りしているのだ。今回いきなり、手荷物の鞭がX線で指摘されてしまった。握り手は木製で、ただ黒い長い皮が三つ編み状に編まれたものなのだが、握り手のなかに金属部があって、指摘されてしまった。べつにハイジャックするわけでもなく、人に危害を加えるものでもないので、ただすんなりと通していただけた。鞭はなにに用いるのかと聞かれても、表現しようがない。役に立つのだ、本当に。別に切れなければロープでも役に立つ。これはいったものしかわからないだろう。
フライトはなんの問題もなく、ケアンズに12月7日(土)午前5:00に到着した。8時間くらいのフライトだ。ここで、ポートモレスビー行きのフライトにトランスファーするのだが、またもやX線で引っかかりなんと鞄すべて別預かりになってしまう。検査官はどうも小生のボリビア製の皮の鞄も気に入らないらしい。鞭だけ別の封筒に入れて没収しろと再三交渉しても応じてくれない。すると検査官もその場からすぐにいなくなって、誰でも盗難できるような場所に放置されてしまう。この辺で、鈴木多門氏に指摘されてしまう(お叱りを承った)。



「トミー先生、なにをしてるんや〜、わけのわからないものを手荷物にいれてるなあ」
返す言葉がない・・・。しかし検査官のあまりにも理不尽な没収に気分が悪いので、辺りを見渡す。なんと好都合に、鞄屋があるではないか!すぐさま、オーストラリアとでかく刺繍したリュックを購入した。またもや、大声で交渉再開。こういうときは大声を出すのがよい。なにも悪いことをしているわけではないのだから。交渉した結果、鞭と鞄が没収され、その他の大事なカメラ類、フイルム類はオーストラリア製のリュックに詰め直し、手荷物として機内に持ち込めた。こんなことはよくあることで、小生にとってはなんてことはない。しかし上流階級の鈴木多門氏にとっては考えられないことらしい。話は脱線するが、一度フランスの空港の乗り換えで、すべての乾電池を没収されたことがあった。これにはびびった。何かあるんじゃないかと、いやな予感がした。案の状、次のフライトがハイジャックされ、フランス版の特殊工作員がすべての犯人達をあっという間に射殺してしまった。なんどいっても海外は恐い。恐い目に遭遇すると、我が国の治安の良さに感動してしまうものである。ポートモレスビーまでは約1時間半のフライトである。フライトはPX091、午前7:00発である。もうすぐである。

ポート モレスビー

機内から外の景色を眺めると、禿げ山だらけで気が滅入る。「なんだ、ここは。自然が
破壊されまくっているじゃないか」思わず口から出てしまう。入国時に必要な入国カードを機内で書き込み、入国の用意をする。やっとパプアニューギニアに到着した。しかし目的地は、国内線に乗り換え、まだ2時間弱のフライトがある。やはり遠い。直行便のほうが便利であると気づくが後の祭りである。無事に預けたすべての荷物が小さなターンベルトコンベアで運ばれてくる。第一印象は、「なんて小さな空港!」回りの乗客は、様々な人種が確認される。次に入国手続きだが、入国には基本的にビザが必要なのだが、日本で予め取得する必要がなく、ここで取得しなければならない。しかも入国審査するまえに一度ゲートから出て、ビザのためのビザ取得料を支払って、再びゲートに戻り、審査、手続きをしなければならない。「なんか、変なシステム」思わず、口からでる。つまり、60日以内の観光・商用目的ならポートモレスビーのジャクソン国際空港で直接取得ができるのである。その際には ̄復の航空券,▲咼脅萋昔腺横汽ナ(約1,000円),6ヶ月以上の残存期間があるパスポートの提示が必要となるようだ。『なお、現地空港でのビザ取得は窓口が大変に混雑をいたしますので、日本にて事前にビザを取得されますと手続きが簡単で早くなります。』とHPには以下のように記載されているのだが、旅行会社に問い合わせてもビザは現地で取得してくださいとのことであった。

〜日本でビザを取得する場合は、パプアニューギニア大使館(東京:03-3454-7801)が窓口となっており、必要書類は以下の通りです。(詳細は大使館にご確認下さい)
〔観光の場合〕:パスポート、往復の航空券または航空券の予約証明書、写真(5cm×5cm)2枚,申請書2通
〔商用の場合〕:パスポート、会社の推薦状2通、写真(5cm×5cm)2枚、申請書2通
(通常は申請後、2〜4日で取得できます)〜

次に税関と検疫だが、HPには、「荷物検査はかなり厳しくなっております。特に食物関係は注意が必要です。持ち込み制限品に関してはこちらでご案内しておりますので、ご覧ください。免税範囲は酒類1リットルまで,たばこは200本までとなっています。」となっているが、なんてことはない。誰も見ようともせず、さらに空港内に出入り自由って感じである。ここの空港はハイジャックなど起こらないのだろうか?少し不安になる。

市内観光

国内線のフライトまで6時間近くあるので、現地の旅行会社の添乗員らしき人が出迎える。ニックといった。第一印象はやはりあやしく見えてしまう。首都のポートモレスビーの印象は、ほこり臭い、土ぼこり臭い、蒸し暑いである。どこも乾燥しまくっている。自然破壊もはなはだしい。市内観光に連れていってくれたが、はっきりいってあまり感動しない。小生はハワイに住んでいたことがあるので、なんか熱帯の片田舎にきたって感じである。なんか大自然とはほど遠いつまらない熱帯田舎都市に見えてしまう。案の定、変な土産屋に連れて行かれる。そこでニックはすぐ戻るからといって、どこかへ立ち去ってしまう。またもや怪しい・・・。よくあることである。だからレンタカーがいい。自由気ままに散策するのが、生にあっているのだが、旅行会社があてがったものだから、しょうがない。約1時間後ニックが戻り、またもや市内観光に連れていってくれたが、鈴木多門氏も小生もうんざり気味である。ニックに問いかける。「たしか植物園があったんじゃないの?」すると連れて行くところだという。
これもたしか10年ほど前に小田善一郎先生が本誌で紹介していた。かすかな記憶があった。やっと植物園についた。第一印象は、これまた「あ〜(落胆入りの擬音である)」って感じ。ラン園があったので、少し心を驚かせたのも束の間、「今日は休みみたい」
「こらっ、怒るでえ〜、ほんまに〜、せっかくきてんねんから、あけといてや〜」と思わず関西弁が口に出る。柵にへばりついて中の様子をかいま見るが、デンファレの交配種らしきものが多く、あまり触手を動かされない。「残念でしたね〜、鈴木さん、ハイランド地方に期待しましょう」

国内線でマウント ハーゲンへ

フライトPX186、15:30発、17:10にやっと念願のマウントハーゲンに到着した。長い道のりである。まる1日かかったことになる。なんてつなぎの悪いフライトだったんだろう。これまた小さいともいえないほど、これが空港かと思えるようなお粗末な空港であった。タラップから降りると同時に、後部から荷物が下ろされ、台車で運ばれていき、空港からでる柵下に放置される。誰がチェックするわけでもなく、乗客各々が自分の荷物を持って柵から出ていくのである。小生はアメリカで何度も泥棒にあっているので、こんな場面では素早い。すぐに自分のバックと鈴木氏のバックを手に取り、外に出た。そこには、パプアニューギニア人の2人がお出迎えしてくれていた。とうとうオーキッドアドベンチャーがはじまるのだ!


後編


現在SARS(重症急性呼吸器症候群)が中国・広東省、香港を中心に広がっている。渡航前には十分風土病について調べ、しっかり自己管理したいものである。過去、ランを探しに渡航した際に、海外で三度、生命の危機に直面したことがある。一度目はハワイの教授宅で、泥棒と直面し格闘したこと。泥棒が「I have the gun.」と言っているにも関わらず、当時は英語力が貧困で聞き取れず、教授は一目散に逃げているにも関わらず戦っていたことがあった。二度目はタイでピストルを突きつけられたこと。三度目は台湾で隣接するホテル火災で、窓越しから炎が入ってきたこと。またパリを始め海外ではスリが非常に多く、若者達はまるでゲーム感覚でスリを楽しんでいるところがある。幸い、大学時代に格闘技をかじっていたため、スリの標的になったことはないが、日本のような治安の良さや常識が海外では全く通用しないということを肝に銘じて、ランを探しに海外へ・・・。さあ、ラン紀行をお届けしよう。

空港からロッジへ

宿泊するロッジからパプアニューギニア人、2人が迎えに来てくれていた。一人がドライバーでもう一人がガイドであるらしい。顔色を伺っても、やはり心の内を伺うことは難しい。四輪駆動車のリアードアから荷物とともに乗り込んだ。鈴木氏は助手席だ。道路が整備されていないため、とんでもないくらいに車体が揺れる。お尻は痛いわ、頭はぶつけわで、先が思いやられた。40分くらい山を登っていっただろうか?途中道が崩れた場所もあった。どう考えても、電気、水道など存在しないだろうという山頂へ向かっていく。 現地人は、悪路にも関わらず、歩いて行き来している。山頂に民家があるのであれば、そこに住む人たちは、歩いて町との往復をするようだ。バスもあるようだが、頻繁ではないので、ほとんどの方が何時間もかけて歩いて行き来している。
やっとのことで午後5時半過ぎにロッジに到着した。ロッジのガーデン柵にはデンドロビュームが着生させてあった。マクロフィラムに違いない。デンドロビューム・マクロフィラムは日本だとフィリピンから輸入するものだが、パプアニューギニアのものとどのくらいの地理的変異が起こっているのかが興味深い。果実(果*)がついていた。以前、マクロフィラムはセルフ繁殖したことがあるので、特徴的な果実は一目ですぐ判った。ここは標高1800〜2000m付近らしい。初秋のような肌寒さを感じる。おそらく15〜17℃くらいだろう。赤道付近でも標高が高くなると、やはり朝晩の冷え込みが激しいようだ。ロッジのロビー中央には暖炉が焚かれており、おそらく年中、必要不可欠なのかもしれない。マクロフィラムにとってもやや寒い気候帯だ。おそらくラン好きがローランド(低地)から持ってきたんだろうと思う。



案内された部屋は、トイレもシャワーも完備された立派なところであった。原住民の住居のような形の小屋で、竹で編んだ壁や床がおしゃれであった。驚きだ。井戸や発電機が完備されているのだろう。いまから思えば、パプアニューギニアのハイランド地方で利用した宿泊所のなかで、このロッジが最も立派なものだった。しかし到着したばかりでは知る由もない。5時40分を過ぎると夕闇が襲い、6時前には暗闇になってしまった。思ったより日が暮れるのが早い。
ガイドとともに夕食を頂き、ラン談義に花が咲いた。鈴木氏の口癖は「縦に書けないし、横にしゃべれない」とよくおっしゃっていたが、さすが、企業を束ねる社長である。目的がはっきりしていて尋ねるポイントが絞られているので、通訳なしでも通じ合っているようだ。その夜は深夜までアルコールを頂きながら、ランに関する話が続いた。小生はもっぱら貨幣価値を知りたくて、失礼と感じつつサラリーを尋ねまくった。ウエイターは1キナ/時間、時給32円。事務員は2キナ/時間、時給64円。用心棒は0.5キナ/時間、時給16円。つまり平均時給32円、日本は平均時給900円だとすると、30倍の開きがあることがわかる。首都のポートモレスビーでパプアニューギニアの地図を購入したが、37.95キナ=1214円がいかに高価であるかがよく判る。優にハイランド地方の37時間分の賃金である。4日近く働かないと購入できないのである。ロビーで何気なくメモ用紙を頂こうとしたら、怪訝な顔をされた訳がわかった。紙自体が高価なものなのである。その後、寝室に戻り、蚊取り線香をたきながら、就寝した。


翌朝、早朝に目が覚め、戸外へでると、どこからわき出たのかと思うほどの霧が発生していて回りが見えないくらいだった。一面、霧の海なのだ。そういえば、夜中、雨が降っているような気がしていたが、雨ではなく、夜露が落ちる音だったようだ。これには驚いた。乾季と聞いていたが、しっかり水やりしたものと変わらないような濡れ方である。毎晩すごい霧が発生してるのだから、水やりなんて不要なのだ。
ロッジのガーデンは、サルビア、ダリア、インパチエンス、カンナなどをうまく使い、小綺麗にされていた。どれもこれも放任栽培してもどんどん大きくなっているようなさまである。関西地方の熱帯夜と比べると、うらやましい限りである。経営者がドイツ系と伺ったが、ちょっとしたガーデニングの様相で品の良さが垣間見られた。
8時半にヨーロッパ調のブレックファースト(朝食)をとり、9時にマウントハーゲンの麓に当たるところへドライバー、ガイド、鈴木氏、小生の4人で向かった。四輪駆動車で、恐ろしく揺れながら下山し、隣りの山麓へ向かう道へいく。小一時間走ってところで、停車し、山の中へ入っていく。思ったより道はぬかるんでいた。




プラントウオッチャーになった日

200年前なら、「プラントハンター」といえばいいのだが、自然破壊が進んだ現在では「プラントハンター」という用語は使用してはいけない用語であろう。自然から略奪してはいけない。あくまでも自然状態を観察しに来ているのだから、「プラントウオッチャー」と呼ぶべきだろう。バードウッチングと同じことである。すぐに樹木に着生したデンドロビューム・クスバートソニイを発見する。乾燥した樹木に1株張り付いていた。大株になって群落を作っていないのが、不思議だった。今回の第一目的であったランと早くも出会えたので、歓喜した。しかし思ったより群落になっていないのが残念である。乱獲されたため少ないのか、それともクスバートソニーにとって樹木に着生するのは、確率が低いのか、第一発見時にはわからなかった。
その後、クスバートソニーではなかったが、デンドロビューム・ベキシラリウスが見つかった。他のラン科植物が続々発見された。恥ずかしいことに、そのほとんどのランが同定できなかった。日本では見たこともない種ばかりなのだ。こんなショックをうけたのは久しぶりだった。属名(GENUS)は推察できても、種(SPECIES)まではわからない。これには参った。ランの専門家としていままで生きてきたつもりなのに、への突っ張りにもならないことがすぐにわかり、妙にワクワクしてきた。見るものすべてが新鮮なのである。見つけ次第、デジタルカメラに納め、一眼レフカメラのポジフィルムにも納めた。
デンドロビューム属は株姿からすぐに理解できるが、バルボフィラム属の変異に富んだバリエーションには驚いた。まるでプレウロタリス属やドラキュラ属に見間違えるようなバルボフィラムがたくさんあるのだ。種名など検討もつかない。それもそのはずだ。パプアニューギニアにしか分布しない固有種も多く存在しているのだから、文献をしっかり調査すれば、新種はすぐに見つかるような地帯である。見たこともないデンドロキラム。最近日本でも販売されるようになったメディオカルカー。約2300種のランが生息しているのだからやはり高地の雲霧林地帯はランの宝庫であった。
森の中は、木の枝が縦横無尽に張り巡らされ、歩きづらい。とても人が入っていけるようなものではなかった。鉈(なた)を使い、切り開いていくのだ。千葉大学時代、恩師の安藤敏夫先生と同行させて頂いた富士山麓の青木ヶ原の樹海を思い出した。結構、薄暗いところに着生していたり、光が通り抜けるところにもランが着生していた。地生ランは思ったより薄暗いところに生えているようだ。




車を停車させていたクムル ロッジに戻り、ランチを頂く。宿泊していたロッジからお昼を用意してくれていた。チキンのバーベキューとスライスしたジャガイモとニンジンとブロッコリーの炒め物であった。気になるお味はというと、これまた日本人向けの味付けで、心より感謝して頂戴した。コカコーラ、パッションフルーツ、バナナをデザートに頂き、美味であった。お腹を壊す心配はなさそうである。昼食後はまた山に入った。歩けば歩くほど、目新しいランが発見できる。これには心底驚いた。マウントハーゲンは「ランの都」である。




夕刻、宿泊しているロッジに戻り、優雅な晩餐が続いた。またもや小生は貨幣価値を知りたくてロッジのなかを探索していた。バー プライス リストが掲載されていたので、思わずカメラに納める。瓶ビール:4.5キナ(144円)、ソフトドリンク:1.5キナ(48円)、タバコ:8キナ(256円)、ライター:1.2キナ(38円)。やはり嗜好品となれば、それほど安価だとは思えない。タバコが以上に高いようだ。町ではタバコを1本ずつばら売りされているのをなんどか見かけた。時給1キナだと1箱分が日当に等しい。これはたいへんである。首都のポートモレスビー(現地人はモズビーという)では、都市化が進み、我々のイメージにある熱帯の観光地という感じだが、国内線でハイランド地方へ行くと、仕事がなさそうで、成人男子はなにをしているのだろうかという印象をもった。畑に行くのは女性の姿が多かったし、町の露天集会場もしくは、バザーのようなものも圧倒的に女性が多い。ビンローヤシの実だろうか?成人男性は、それを噛みくだしては吐き出すといった、まるで血へどを吐いたような痕が目に止まった。やや目つきが鋭い顔つきをした方が多いように見受けられた。



マダンからタリへ行き先を変更する

3日間マウントハーゲンに滞在した後、マダンへいく予定であったが、ガイドによれば、「マダンは単なる観光地であって、全然野生のランが見られない」とのことで、急遽、タリへ行き先を変更した。しかし、この変更手続きが大変なものだった。まず飛行便の予定表を見て、マウントハーゲンからタリ行きの便を探し、航空会社へ出向いて、タリ行きのチケットを入手しなければいけない。マダン行きのチケットのキャンセルはタリ行きが確定してからでないと、話はややこしくなる。日本のように電話やカウンターで簡単に手続きできると思っていたら、大きな間違いだ。
まず、翌日の朝一番に『エアーニューギー』に行き、チケットの予約を試みる。治安が悪いのがすぐわかる。航空会社の出入り口にもガードマンが立ち、鉄格子があるのだ。嫌な予感とともになかに入る。「タリ行きは満員で、キャンセル待ちだ」という。オフィス内の鉄柵越しの女性は非常に無愛想である。「どうにかして行ける方法はないでしょうか?」と丁寧に尋ねた。「他の航空会社を当たれ」とつれない返答。「他の航空会社はどこですか?」とまたもや丁寧に尋ねてみる。英語が公用語なので、どうにかこうにか聞き出すことができるので有り難い。『エアーリンク』という航空会社を紹介してもらい、ドライバーに告げて移動する。
着いてみると、「これはなんと小さな空港だろう」と思わず、びびってしまう。空港の回りのフェンスには、手編みの鞄を色とりどりに吊り下げられているのだ。女性たちはその下で座り込んで、手編みを続けながら、旅行客が来るのを待ちかまえているのだ。鞄の価格を尋ねると30〜50キナ(960〜1600円)で、現地人にこの価格帯は正常かどうか尋ねると、やはり旅行者相手の価格だから異常に高価だという。どこの国も女性は強い。ここの男性達はなにをしているのだろう?本当に不思議だ。
オフィスに入ると、受付に女性が一人。荷物運びの男性職員が一人。たった二人で切り盛りされている。しかもコンピューターを使わず、手書きでチケットを作っている。「なんか恐い〜」。思わずびびってしまう。受付の女性職員の体格は立派な骨格で、お顔を拝見すると髭を伸ばしておられた。「たくましい〜」思わず、手書きでも仕事をこなされることに妙に納得してしまった。「マダン行きからタリ行きへ変更したい」と告げると、すぐに意図を理解してもらえ、「チケットを発行してやる」とのこと。ちょっと安心したが、なんとチケットをゲットするまで3時間も待つはめになってしまった。鈴木氏はじっと車内で待っておられた。熱帯圏にいけばよくあることだが、「テイク イット イージー」だろうか?日本時間で生活している筆者には何ともつらい3時間だった。



タリに滞在することになったので、鈴木氏が手持ちの所持金をドルからキナに両替しておきたいとのことで、銀行に立ち寄った。ウエストパック銀行 マウントハーゲン支店(Westpac Bank −PNG−Limited. Mount Hagen Branch、Cnr. Paraka Place and Romba street Mount Hagen)。着いてみると、長蛇の列が続いている。いったいこの国の金融システムはどうなっているんだろうかとため息が出る。しかし、ガードマンに目的を告げると、特別扱いしてもらえ、2階に案内された。このように特別扱いされたからといって安心してはいけない。ハワイ在住のとき、銀行で口座を解約すると受け取った金額が明らかに少なかったことがあった。その時は銀行を出るやいなや気づいて、すぐに抗議しにいったのでちゃんとお金は返して頂けたが、担当者の「Sorry(失礼)」の一言で片づけられてしまう感覚は、いまだに理解できない。世界のほとんどの地域では、気がつかない方が悪いのである。このようなあまり経験したくなかったことをすでに体験済みだったので、マウントハーゲンの銀行でも、目を皿のようにして確認した。やはり用紙に書き込まれた金額の0が一個足りなかった。いやはや恐ろしい。人を疑う習慣は持ちたくないが、すべてにおいて確認することが重要なのであろうと思う。確認しなかった自分が悪いのである。悪意を持って行っているのか、単なるケアレスミスなのかは、相手の器量の問題なんであろう。無事に鈴木氏の両替を終えると、今度はドライバーが心配しだした。パプアニューギニアではとんでもない大金なので、「『Rascal(ラスカル;強盗)』に襲われてしまう」と、真剣におびえていたから、しゃれにならない治安の悪さであるようだ。

ヘゴの木を植え込み材料として利用するガイド

チケットを入手するだけで、午前中を潰してしまったので、昼からは車ではあまり遠出せず、ロッジの裏山地域にもランがたくさん着生しているとのことで、昨日とは異なるところを散策した。山の谷間に約150m下には、澄んだ小川が流れ、幻想的な景色を作り出していた。
道路際に、マメ科のルピナスが群生を作って、ピンクの可愛い花々を開花させていた。原産地は北米、地中海沿岸だと思うのだが、帰化植物として野生化しているのであろう。さらにこんな道路際にも地生ランであるスパソグロッティスの可憐な赤紫の花が多数見つかる。一見、シランが開花しているような趣で自生しているので、思わず見とれてしまう。道路際の斜面にもたくさんランが地生していた。
しかし我々の感覚とは違い、十分遠出と思われるほどの距離を歩き回った。ガイドは鉈を片手に切り分けて、素足でどんどん入っていく。なぜ靴を履かないのかと聞くと、素足が一番滑らなくて安全であるとのこと。身のこなしが軽快だ。トゲがある植物だらけのところでもどんどん入っていくので、痛くないのだろうかと見ている方が心配になってくる。「大丈夫ですか?足の裏」と聞くと、「痛いの我慢してる」と。やはり同じ人間である。よかった。つまらないことに感動してしまう。筆者も道場で鍛えていたときは、足の裏は強かったが、都会で暮らしていると、今や見る影もない。しかしガイドのあとを必死についていくと、今度はセロジネ、エリア、カランセなどの自生状況が次々に目に飛び込んでくる。あ〜なんかうれしい。ポジフィルムに焼き付けていくたびに、ラン自体に近づけたような気がしてくるから不思議である。
感動に浸っているのも束の間、ガイドがいきなり鉈でヘゴ(木生シダ)を切り裂いた。何をしているんだろうと尋ねると、ガイドの農場で栽培するのに、植え込み材料として使用するために持って帰るんだという。こんなに水を含んだヘゴを切り裂いて持って帰るなんて・・・、すごく重たいんだろうな?と思ったが、ガイド本人は真剣で、本当に担いで車まで持っていったので、これまた驚いた。



タリへ向かう

タリへ移動する日が来た。手続きに異常に時間がとられたが、違う自生地が見れる期待感でずっとワクワクしていた。マウントハーゲンが高山の雲霧林地帯なら、タリは高層湿原地帯なのだ。搭乗する前から想像ばかりが先立ってしまう。
エアーリンク社のND452便を利用した。マウントハーゲン9:45発、タリ10:15着。半時間で着いてしまう。気になる航空運賃は、大人227.60キナ(7283円)、小人173.70キナ(5558円)であった。小さなプロペラ機であるが、半時間あまりの距離だから問題はないだろうと思う。エアーリンク社では、機内持ち込み荷物を許可していない。従ってリュックは重さを測られて(8.5kg)、機内の後部へまとめて置かれる。係員によって荷物スペースに運ばれた。操縦士と副操縦士が同じタラップから乗り込み、簡単な挨拶をしてくれる。パーサーも兼ねているようだ。座席と操縦席との間はカーテンがあるだけだ。すぐにハイジャックできそうな構造である。少し不安を憶えたが、ガイドが「タリはマウントハーゲンよりもっと治安が悪いから用心しろ」とアドバイスしてくれ、、益々不安になった。 あっという間にタリに到着した。空港のフェンス越しには信じられないほど、何百人もの現地人がいた。ゲート付近には、軍隊らしき警備が多数いて、変な緊張が走る。鈴木氏は筆者を見て微笑んでいる。「トミー先生、びびっているんじゃないです?」確かにびびっていた。なぜ軍隊らしき人がゲートを守っているんだろうか?なぜ空港のフェンス回りには大勢の現地人がたむろしているのだろうか?マウントハーゲンから同行させたガイドの顔色も少し変だ。今までの海外での経験を思い出して、できるだけ考えられる事故、犯罪などをシュミレーションしてみる。一斉に飛びかかってこられれば、どうやって逃げればいいのか?真剣に考えた。取り合えずヌンチャクはリュックのすぐ取り出せるところへ入れておいた。
後でわかったことだが、空港のまわりにいた現地人はすることが無いので、飛行機を見に来ているとのことだった。恐るべし、現地人。

ガイド役をとるための現地人の攻防

ガイドが案内してくれた宿は、お世辞にも清潔とはいえないものであった。鈴木氏と筆者を2段ベットが2台備え付けられた小さな部屋に置き去りにして、ガイドは「警察へ行く」という。「なんのために?」と問いただすと、明日、山へ入るためにパトカーを出してもらえるように要請しにいくというのだ。「なんだそれ?」思わず日本語が飛び出す。「レンタカーはないのか?」と問いただすが、「そんなものはない」と一言。あ〜、結構ヤバイところに来てしまったと少し後悔する。なんと内戦だかなんだかわからないが、「銃をもった連中がゴロゴロしていて危険だから部屋から一歩もでるな」ともいう。しかし鈴木氏はいたって平静である。「ここで待てばいいんだな〜」と平然と清潔とはいえないベットに横たわった。「鈴木さん、ここのベットあまり衛生的とはいえないですよ、絶対ダニがいますよ。ぼくは立っていますから」。すると「なに言ってるさあ〜、日本も昔はこんなんと変わんなかったんだから、トミー先生はボンボンだなあ」と鈴木氏。やはり大物である。



半時間あまり、ガイドの帰りを待っていただろうか?その間、ひっきりなしに我々の部屋を知らない現地人が訪れてくる。ガイドから部屋の鍵をしっかり閉めて強盗には気をつけてと言われていたが、部屋をノックされるのだから、「what's up?(どうかしたか?)」と答えざるを得ない。しぶしぶドアを開けると、現地人は必死にガイド役を売り込んでくる。何とか相手の心の内を読みとろうとするが、麻薬で虚ろな目からは何も読めない。4〜5人は訪れてきただろうか?一人やきもきして応対していたが、鈴木氏は平然そのもの。やはり海戦山戦、生きてきた年数が違う。生きてきた時代も違う。鈴木氏はやはりただ者ではない凄い人だ。応対した内容を手短に鈴木氏に伝え、確認をとった。
やがてガイドが帰ってきて、警察とのやりとりの結果を聞く。「明日、事件が起こらなければ、パトカーをだしてやる」とのこと。なんか信じられない。1市民が要請すれば、パトカーがタクシーになる町なのか!その間も現地人が数人やってきては、「ガイドさせろ」とまくし立てる。複数の売り込みガイドのなかで、一人だけ「俺は自然観察員の案内ガイド役の資格をもっているんだ。信じてくれ」というスティーブンという小柄な男がいた。風貌はやはり怪しい。しかし靴だけは高価なものを身に付けている。鈴木氏に内容を伝える。「こんなところで明日まで待っていてもしょうがないさあ。この宿泊所には料金を払って、彼を信じて行こうか」これには感動した。「鈴木さん、車に乗って人気のないところに連れて行かれて、身ぐるみ剥がされても構わないですね?最悪の場合は殺されるかもしれませんよ」。取り合えず、念を押す。「郷に入れば郷に従えっていうじゃない。行くさ!」と鈴木氏。「・・・・・。」筆者は思わず固まってしまった。「OK、貴殿のガイド役の資格を信じる。貴殿のロッジに移ろう」と伝えると、彼は大喜びして、「ちょっと待て、車を探してくる」と言う。おいおい、車も持っていないのに自分のロッジの営業をしていたの?先が思いやられる。
すぐにスティーブンが喜んで戻ってきた。「車が手配できたあ〜」。いったい、どうなっているんだろう、この町は。マウントハーゲンから同行しているガイドは案外気が弱いらしい。タリのガイド役にまくし立てられると、言い返せないらしい。四輪駆動のトラックがくる。ドライバーの名は同じスティーブン。車の持ち主だ。こちらは2m近い大男だ。髭面で、結構迫力ある気をもった男であった。ややこしいからリトル・スティーブンとビッグ・スティーブンとした。さらに目つきの悪い若い青年が2人乗り込む。鈴木氏は助手席に乗り込み、筆者の他、4人が荷台に上がりこんだ。一人の男が「荷台に立て」という。「座っていると放り出されるから」と。車が動き出すと、意味がよくわかった。これはしゃれにならない。すごい揺れである。舗装されていないとは故、ここまで揺さぶられてしまうかというほどの揺れである。必死にしがみついた。筆者の横に立つ男は先程空港内で働いていた男だ。なんで仕事を放棄して同じ車に乗ってるの〜?訳が分からない。カモが見つかったから、みんなで山分け〜?って感じかな。もうどうにでもよくなった。郷に入れば郷に従え、従ってやろうじゃないの。途中、ロッジには電気がないから、発電機を借りるという。さらに「今晩の食料代がないから、前払いしろ」という。



露天の集会場と思われるマーケットでなにやら食料を調達するリトル・スティーブン。停車していると、物珍しいのか、どんどん現地人がやってきて、車を取り囲まれる。マウントハーゲンからのガイドに「大丈夫なのか?」と尋ねると、「日本人が物珍しいんだろ」と一言。車の回りには優に50人以上の人だかりだ。過去、フィリピンでも同じような経験をしたが、やはり目つきが尋常に思えない。
1時間近く、砂利道を1000m近く上がった2800mあたりで、ガラリと景観が変わった。高層湿原が忽然と現れた。凄い。これがタリの自然なのか。恐かったけど、来て良かった。鈴木氏に心から感謝した。

リトル・スティーブンのロッジ

こぢんまりしたロッジで、少し安心した。しかし前回の客はいつ来たんだろうと思うような様相だ。トイレははなれにあり、案内してくれるが、どうも使っていないらしい。トイレットペーパーが無くなって、だいぶ月日がたっているって感じだからだ。これは外で済ませるしかないようだ。すぐに鈴木氏が山にいきたいとおっしゃったので、スティーブンに伝え、4人で向かう。スティーブンは高価な靴を履いたままだ。やはり怪しい。そんな靴で山に入るの?ホントに資格があるんだろうか?ロッジから上へ登り、道から外れたところで下っていく。「どこに行くのか?」と尋ねると、「フォール(滝)を見せてやる」とのこと。これには鈴木氏が立腹された。誰が滝を見たいと言ったんだ。ランが見たいんだぞ!(カラー写真、図5参照)。マウントハーゲンから同行するガイドは何も言わず、ごそごそ歩き回っている。キク科のアゲラタムがピンクの可憐な花を付けていた。メキシコ原産なのに、帰化したんだろうか?次には変なシダを発見する。枝打ちする様が妙に心に残る。プラントハンターが謳歌していた時代がうらやましい。そんな時代に生まれていれば、思わず母国に持ち帰っていただろう。ここでは開花しているセロジネを発見した。

普段、リトル・スティーブンは町で暮らしていて、客を捕まえるとどうもこのロッジでお客の世話をするようだ。ロッジの離れに茅葺き小屋があり、男5兄弟が暮らしている。彼らはスティーブンの甥にあたるという。スティーブンがいない間、彼らにこのロッジを管理させているようだ。彼らの両親はすでに亡くなっており、5人で自給自足の生活をしているらしい。はっきりいって貧しそうだった。小屋の中には、囲炉裏があり、一日中、火を熾している。煙はそのまま天井の茅葺き屋根から染み出していく。中へ入ると照明は当然なく、窓もない。入り口が一つあるだけだ。コの字型に床があり、土間を取り囲むようになっている。一番下の子が筆者の息子と重なる。パンツもはかず、破れたTシャツを着て、愛くるしい目をクリクリさせて希望に満ちた表情をしていた。しかし下手に同情してはいけない。英語を覚えて、いっぱい勉強することを教えてあげなければ、彼らのためにはならないのだ。日本人の勤勉さを特に簡単な英語を使って、一生懸命彼らに伝えた。後で、スティーブンから礼を言われたが、息子、娘に見せたかったとつくづく思った。

翌日はさらに標高の高いところへ車で移動することになり、期待で胸を膨らませた。ちなみに部屋では蚊取り線香を相変わらず焚き、シャワーもないので、就寝前に首回りや手首、足首に虫除けスプレーを塗布して、ジーパンの裾当たりを日本から持参してきた伸縮性のフェルトの紐でしっかり結んだ。手には軍手をして、マフラーを首に巻いて寝床に着く。すべてダニや蚊の対策である。変な病気をもらいたくないので、つい神経質になる。読者の皆さんに笑われるかもしれないが、筆者の専門はバイオテクノロジーで、普段から病原菌、バクテリア、ウイルスに関して研究しているため、宿主にはなりたくない。
一方の鈴木氏はなんと窓を開けたまま就寝したという、朝方「寒かったなあ〜」と一言。恐るべし、社長。明け方は2〜3℃近くまで下がっていたようだ。やはり鈴木氏の精神はホントに大明神かもしれない。しかし2日後、お腹や首をダニに挿されたらしく、困っておられた。よかった?鈴木氏の身体は普通の人と変わらないようだ。


とうとう出会えたクスバートソニーの群生地

ロッジからさらに小一時間、車を走らせ、山頂へ向かう。一見、湿原が広がった地帯に差し掛かる。ここで降りろと言う。迎えの時間を約束して、4人で向かう。マウントハーゲンからのガイド、鈴木氏、筆者、さらに5人兄弟の三男坊を連れて。だだっ広い湿原を延々にひたすら歩いた。「どうしてこんなに広いの」っと弱音を吐きたくなるくらいの広さである。しかも少し歩いただけで息苦しい。「ここはどこ?」って感じになってくる。



標高は2000mを越え、3000m近くまで来ているようだ。回りの山々、マウント アンブラは標高3000m、マウント カラワは3500mといっていた。鈴木氏はまたもや平然と歩いておられる。「なんで?ぼくの方が若いのに・・・」と思っても、完全に負けた。鈴木氏は普段から身体を鍛えておられるのだ。自己管理能力が素晴らしい。悔しいけど、負けを認めざるを得ない。ここでもまた人生において重要な教えを頂いた。『忙しい、忙しいといっても、時間は自ら作るものであり、身体も普段から作るものだ』と。「あ、痛たあ〜」って感じである。おっしゃるとおりだ。素直に見習おうと、自分の生き方の甘さを深く反省する。



突然、ガイドが走り出す。「先にあるかどうか確認をしてくる」と言って。あっという間に、姿が小さくなって見えなくなる。残された3人はテクテクひたすら前へ進むだけだ。いつになったら、山の中にはいるんだろうと思いながら進む。
湿原の中から、ガイドが手を振っている。とうとう見つけたんだ。気持ちが抑揚し、心が弾む。北北東の斜面に群落を作っていた。よーく目を凝らしてみると、小さな赤い点々が見える。これがデンドロビューム・クスバートソニーの自生地か!感動ものである。イネ科の植物に混じって、所々クスバートソニーが地生しているのだ。根がどうなっているのか疑問に感じて、ガイドに尋ねれば、ガイドは三男坊に見つからないようにして、そっと掘り出した。彼は山採り株を採集して、自分の農場で殖やし、生活の糧にしているようだった。思ったより、根は深く地中を潜り、ガイドの指先には泥がたくさん付いていた。




へえ〜、着生も地生もできるんだ。しかし平地に地生しているわけではない。風が通り抜ける斜面なのだ。案外栽培上では、株が小さいのであまり肥料が要らないように思われがちだが、多肥栽培がいいのかもしれないと感じた。必ず、北北東から南南西へと流れる風が、クスバートソニーの種子を斜面に運び、自生地を作っているような状況であった。西日は当たらない斜面に地生していた。イネ科の植物がいい具合に遮光している様も感動を憶えた。すぐ近くにピンク、オレンジ、レッドと花色が異なった個体がたくさん存在しているのである。どうもセルフィング(自家受粉)を繰り返した群落ではなく、シブリング(他家受粉)によって、種が形成されているようである。だから、花色の変異が多いのだろう。



喜んでいたのも束の間、急に雲行きが怪しくなって、霧が発生し、大雨になった。乾季と聞いていたが、そういう感じは受けない。雨宿りできそうな場所はない。木生シダの木陰しかないのだ。雨が止むまで半時間近くかかったが、帰り道、今度は森の中へ入ってみると、またクスバートソニーがお行儀よく、樹木に着生していた。ノーマルタイプだった(カラー写真、図11参照)。3人でくまなく探すと、オレンジの弁先がイエローになったビカラータイプのものが着生していた。じっと勝ち誇ったように、こちらを見つめ返していた。森の中は木々の枝が視界を遮って、角度によっては見えないようなところに着生していた。この旅で最も大きな株だったように思う。5輪の花々が微笑む様を見つめていると、これが自然の神々の移り変わりかもしれないとさえ感じた。心から自然の想念に感嘆した。


ハイランド地方のガーデニング事情

ハイランドの民家の回りには、ポインセチア(メキシコ原産)、コリウス(アジア、オーストラリア、南太平洋原産)、アブチロン(ブラジル原産)、ニューギニアインパチエンス(ニューギニア原産)、キンケイギク(北米原産)、ベニチョウジ(メキシコ原産)、ノボタン(南米原産)など園芸化された植物が結構植えられている。けっして優雅とは思えない暮らしぶりだが、子供達は裸足で駆け回り、青っぱなを垂らしながら遊ぶ姿を見ていると、遠い昔、レンゲ畑で走り回った幼い記憶が重なってくる。息子や娘を連れてくればよかったとつくづく思った。お金じゃない、物質欲じゃない、もっと大事なものが、ここにはあるのだ。民族や人種などを越えた古き良き時代がここには残っている。読者の皆さんも、ぜひ機会があれば、マウントハーゲンを訪れてほしい。見知らぬランとの出会い、現地人との出会いによって、もっとも重要な熱いなにかをつかみとれるはずだから。
こんな貴重な体験を下さった、恵那愛蘭会会長 鈴木多門氏に心から感謝を申し上げたい。





現地語辞典(おまけ)
以下の2文を憶えておくと便利である。まずカメラを向ける前に、撮影してもいいかどうか確認しないと失礼である。さらに仲良くなって、なにか食べ物を頂いたときに、心からおいしいと御礼をいうことが重要である。筆者はこの2文が人との繋がりの第一歩だと思っている。
・写真を撮ってもいいですか? → イナップ ミーキシイ ピキサ?
・おいしい → ミラキントウルー